マンドリニスト陳雅慧、「エイサー」創業者も師事
(2010年2月9日付、台湾大手紙「中国時報」より)
台湾で数少ないマンドリンプロ奏者、陳雅慧(台北マンドリン楽団団長)は、もともとは中国の伝統楽器、「柳琴(りゅうきん)」を専門としながらも、マンドリンに魅せられ、4年前から日本まで教えを請いに海を渡るほどの熱心さだ。彼女のすばらしい腕前は、台湾南部屈指のハイテクメーカー、奇美集団(チーメイグループ)創業者で、同時にマンドリン愛好家でもある許文龍氏をもうならせ、その縁からパソコン大手ブランド、宏碁集団(エイサーグループ)創業者で前董事長の施振栄氏にマンドリンを教えているほど。
許文龍氏はマンドリンを収集したり、演奏するだけでなく、友好の証としてマンドリンを贈り物にすることも多い。これまで同氏からマンドリンを受け取ったのは、馬英九・台湾総統、傘下企業同士が合併した鴻海科技集団(フォックスコングループ)の郭台銘董事長など著名人も少なくない。その中でも施振栄氏は、最も真剣にマンドリンに取り組んだ人物の一人だ。
陳雅慧によると、施振栄氏の自宅で初めてレッスンした際、相手が大企業の創業者とあって、とてつもなく緊張したそうだ。実際には、施振栄氏には全く偉ぶったところがなく、真摯に努力していたのが印象的だったという。「施振栄氏は初めてのレッスンの前に、ピアノを習っている孫娘さんに五線譜の読み方を教えてもらっていました(台湾では「簡譜(数字譜)」と呼ばれる数字による楽譜が一般的)。毎回のレッスンにも、しっかり練習をしてから臨んでいて、いまや台湾民謡も弾けるまでに成長しました」とのことだ。
陳雅慧は2006年、奇美マンドリン楽団が開催した交流会に参加した際、まだマンドリンを習っていなかったにもかかわらず、柳琴を奏でる要領でマンドリンを演奏してみせた。「そのとき、難曲といわれる『チャールダッシュ(モンティ作曲)』を弾いたので、皆さん大変驚いていました」
このときの陳雅慧の演奏のすばらしさを耳にした許文龍氏は、一曲演奏しに自宅まで来てほしいと声を掛けた。これをきっかけに、二人はマンドリン音楽発展のために協力し合うことになる。陳雅慧によると、許文龍氏は台南でマンドリン音楽の普及に務めており、当時台北ではほぼ目にすることがなかったマンドリンだが、台南では教会や地域のサークルなどマンドリン楽団が既にたくさん存在したという。
陳雅慧のマンドリンとの出会いは中学時代に遡る。当時耳にしたマンドリン音楽の美しさが忘れられず、アジアで最もマンドリンが盛んで、国際レベルの演奏者を数多く生み出しているのは日本だと知り、あるとき陳雅慧はマンドリンを本格的に始めてみようと考え、有名なマンドリニスト、青山忠氏の教材に記されていた連絡先にあて、マンドリンを教えてほしいと手紙を送った。すると、思いがけず青山忠氏から直接返事が届き、日本でマンドリンを学ぶ機会を得たという。